越中国府の伏木には、国府があった古国府(ふるこふと呼びます)、その両側に赤坂谷を挟み一宮台地、古府谷を挟み古府台地、後ろには300メートルの二上山、前方には、澁谷の磯、奈胡の浦があり、海越しに、3000メートル級の立山連峰がそびえたっています。
奈良時代、この地に、大伴家持が国守として赴任して、生活した足跡が万葉集を通じ、歴史に刻銘に残っています。
鎌倉時代には、弁慶が扇で散々源義経を打ち据えた如意の渡しがあり、室町時代には古国府城が構えられています。
その古国府城の地に、一向一揆の拠点となった雲龍山勝興寺が建立され、加賀藩前田家の厚い庇護のもと、北陸の西本願寺派の中心となっていきます。
江戸時代、明治時代には 日本海側、有数の港として栄え、大正、昭和には工業地帯として地域の発展を支えてきました。
これらの伏木の歴史の起点を奈良時代の国府設置当時としてとらえることができます。
*推定を含む
Q1 672~692年ごろ 越国が3つに分割されました。3つの国をご存知ですか?
A1 越前、越中、越後に分割される