国府は勝興寺あたりとみられています。今は、土塁跡や堀がありますが、当時はなかったと思われます。勝興寺と同じ大きさだとすれば、3万㎡であり、170m程度の正方形の敷地となります。正門にあたる南側と東側にあたる付近は発掘調査が行われました。 郡山国府と多賀城跡復元模型を参考に越中国府をイメージしてください。 八世紀末の越中国府推定図