現在、越中国守館の跡と思われる地には、伏木気象資料館が建てられています。天平18年(746)
に大伴家持が国司として赴任してくると、この地を中心に万葉集の数多くの歌が詠まれました。
大伴家持が暮らした国守館が伏木測候所付近とすると、国府の100m東側にあたり、台地の東端になります。そこからは、晴れていれば、射水川(小矢部川)、富山湾、川、海、平野越しに立山連峰が何も遮るものがなく、くっきりと見えます。朝は海または立山から登る太陽、昼には、海から吹くあゆの風を感じ、夕暮れには二上山に沈む夕日もみることができます。
奈良とは全く異なる風景のなかでの生活が、和歌をつくる発想の源泉となったことでしょう。