平安・鎌倉時代

で き ご と 備 考
810年 越中国庁の役人が ボッカイ国の言葉を習った。
越中国に滞在した渤海国使首領である高多仏により、習語生等に対する渤海語の修習が行われる
 
  このころ、亘理(わたり)の湊(伏木の湊)が越中国と都をつなぐ海上交通の中心地であった  
1065年 越中国司が荘園の広がりを止めてほしいと願い出た。太政官符を越中国司に下し、新たに荘園を立てることを停める旨令する  
1183年 源(木曽)義仲が越中国に入った。般若野・六渡寺・倶利伽羅峠 源義仲
1187年 源義経、弁慶一行が如意の渡しを通った。 源義経

【歴史考察】

<平安時代>

 794年(鳴くよウグイス)で始まり、次の鎌倉 1192年(いい国つくろう)(あるいは1185年)まで続きました。約400年もの長期に渡ります。平安京遷都から12世紀末の鎌倉幕府成立まで。平安京の朝廷に政権のあった時代、前・中・後の3期に分けられます。

 前期は10世紀の延喜・天暦の治(えんぎてんりゃくのち)まで、形式的には律令制度が続いたが,藤原氏が進出し,初期荘園が展開して,律令国家の基礎は解体しました。また唐風文化の最盛期で,天台宗・真言宗が興りました。

 中期は11世紀後半までの藤原時代、藤原氏の摂関政治が完成し,いわゆる国風文化が展開されました。

 後期は院政の時代。荘園は全国に広がり,武士が成長し,朝廷は治安を維持し得なくなる、朝廷貴族も新興勢力に注目して,説話集や絵巻物(えまきもの)が生まれました

<鎌倉時代>

 源頼朝が平氏政権を倒し,鎌倉幕府を開いた1185 年から,1333 年鎌倉幕府が滅亡するまでの約150年間,鎌倉を拠点とした武家政権の時代です。この時代の始期については,1185年のほか,幕府権力の形成に即した諸説があります。
 この時代は、日本の封建社会の一時期をなします。
 
将軍家は3代で源氏の直系が絶えたため,源氏と血縁関係のある九条頼経が迎えられてから摂家将軍が2代続き、さらに親王が迎えられて宮将軍が4代続きます。
 
頼朝没後,夫人政子とその父北条時政が重臣の合議制による幕政運営を行なったが内紛が絶えず、なお武家の公家政権に対する優位は確立しませんでした。3代にして源氏の正流が絶えたのに乗じて,1221 年、後鳥羽上皇らが朝権回復をはかって失敗したのが承久の乱です。
 
 以後,幕府は全国に地頭を設けるのに成功、北条氏の執権政治は確立し,武家法が制定され、やがては大覚寺統,持明院統の皇位継承への干渉さえ行うようになりました。平和的な日宋貿易は,蒙古の圧迫でとだえ、1274) 年と1281年の元寇にはかろうじて侵略を免れましたが,以来,御家人層の経済的窮乏,北条氏得宗専制への不満も高まり、再び朝廷側に討幕計画が起り、ついに後醍醐天皇の建武中興が行われました。

 鎌倉時代には平安時代以来の荘園制が存続し,名主経営に立脚する地頭など御家人層は、将軍家との主従関係を背景に、貴族,寺社などの荘園領主層に対抗して封建領主化しつつありました。
武家風の文化が伝統的な公家文化を次第に圧倒し、浄土宗,浄土真宗,時宗,禅宗,日蓮宗など新仏教の普及、文学面では『新古今和歌集』以下の和歌,説話,軍記,随筆のほか、『吾妻鏡』『愚管抄』など歴史書の業績もみられ、芸術面では天竺様,唐様,和様の寺院建築や武家造の住宅、似絵,絵巻物をはじめ、絵画,工芸などに力強い作品が生れました