顕如消息(石山退城等をつぐ)(けんにょしょうそく)  

教如消息(石山籠城の決意をつぐ)


 本史料は、顕如が、信長に屈した直後、勝興寺第9代住職・顕栄(1509~84)に、大坂から退去して雑賀(和歌山市)に移ったことを報せたものである。

自分は開山聖人の影像を奉じて雑賀に移ったから、諸国の門徒は今後は雑賀に参詣に来るように、と求めている。これは勿論、大坂の教如には従うな、という意味であろう。

本史料の内容は、天正8年(1580)の本願寺の大坂退去に際して、顕如は既に雑賀(和歌山市)に移っていたが、自分はあくまで大坂に踏み止まることを決意したと述べ、「万端頼み入るばかり」と結んで、越中の坊主衆・門徒衆に支持を求めている。

出所:高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ