勝興寺所蔵書状

1568年 武田信玄書状
       武田信玄が勝興寺・瑞泉寺などに椎名康胤を援け、上杉輝虎の背後をうかがわせる

1572年 武田信玄・勝頼連名書状
      武田信玄が勝興寺に書を送り富山落城を惜しみ、出兵遅延を釈明する。

1573年 浅井長政書状
      近江の浅井長政が勝興寺に対し、武田信玄と協議せず謙信と和議せぬよう書を送る。

1580年 顕如消息(石山退城等をつぐ)(けんにょしょうそく)
      石山本願寺顕如が織田信長と和し紀伊雑賀へ移った旨を勝興寺に知らせる。

1580年 教如消息(石山籠城の決意をつぐ)(きょうにょしょうそく) 
      顕如長子教如が信長への抵抗継続に門徒一揆を奮起させるよう勝興寺へ来信するとともに、
      六月には使者をつかわし、重ねて抵抗継続を呼びかける。

1584年 佐々成政書状(さっさなりまさしょじょう)
      神保氏張添状(じんぼうじはるそえじょう)
      神保氏張制札(じんぼうじはるせいさつ)
      佐々成政が勝興寺に還住を許し、守山城主神保氏張が射水郡古国府の分一円を当山に寄進し
      国中の諸坊主に草坊建立その他諸事につき協力を命ずる。

1585年 豊臣秀吉禁制(とよとみひでよしきんぜい)
      羽柴秀吉が在京中の勝興寺十一世顕幸に古国府寺内保護の禁制を与える。

1585年 前田利勝禁制(まえだとしかつきんぜい)
     前田利勝(以下利長と記す)が古国府勝興寺に禁制を与え保護を保証する。